They're leaving home.(慈愛の響き from 6年生父母 第一弾)

 こんにちは!

 

 

 

 

 いよいよ桜が咲き出した今日この頃、みなさま如何お過ごしでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。

 

 

 堂々と卒所を迎えた、6年生児童の父母による作文を掲載致します。

 

 

 

 

 365パーセントの幸せに満ちた情景をご堪能ください。

 

 

 

 (点線から点線までです。)

 

 

 

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本日,わが家の長男が無事に卒所式を迎えました。

 

 

帰宅した長男は,大きなアルバムを持っていました。

 

 

タテヨコ30センチほどの,写真を貼って透明のシートでフタをする,昔からよくあるアルバムです。

 

 

長男がニヤニヤしながら見ていたアルバムを,私も見せてもらいました。

 

 

そして,度肝を抜かれたのです。

 

 

そこには,1年生から6年生までの長男の学童での日常や行事の写真が,指導員の手作りのポップやフキダシのコメントとともに,隙間なく貼られていました。

 

 

丁寧なレイアウト・切り抜き写真・色画用紙の飾り…

 

 

1つ1つが,長男のためにつくられた「作品」でした。

 

 

母親の私ですら,こんな凝ったものはつくったことがありません。

 

 

1年生のあどけない長男が,2年生になり3年生になり,6年生の今に至るまで,少しずつ成長しているのが視覚的にわかります。

 

 

「すごいね!これをいただけるだけでも,学童に6年間いた価値があるよ。」と思わず言いました。

 

 

学校の卒業アルバムより見どころがあると言っても,過言ではありません。

 

 

アルバムを隅から隅まで眺めること3回。

 

 

ふと,気づきました。

 

 

「この子は,こんな顔するのだな。」「こんな風に友達と遊んでいるんだ。」

 

 

それは,私の知らない長男の顔でした。

 

 

夫や私が撮る写真では,絶対にしないような自然な笑顔や,おどけた顔,真剣な顔がもりだくさんなのです。

 

 

低学年のころは,学童をひたすら満喫している写真が多かったのが,高学年になると,低学年たちをサポートしている写真がちらほら見られるようになりました。

 

 

低学年の竹馬を支える姿,模擬バザーで小さい子たちをフォローしているものもありました。

 

 

毎日19時にお迎えに行く私が知る長男は,学童のプレハブの片隅で,大仏のように本を読む姿だけだったのです。そうか,違ったのか,と。 

 

 

ふりかえってみれば,長男の学童生活のうち,5・6年生の丸2年間,3分の1は新型コロナウイルスの影響を受けて,ほとんどの行事が中止・縮小に追い込まれました。

 

 

行事ができないのなら,学童に行く意味ってあるのかな。そんな風に思ったこともあります。でもそうではなかった。

 

 

毎日の取り組みや仲間たちと過ごす日々。これこそがやはり学童の真骨頂なのだと,今,このアルバムを手にして,ようやく実感しました。

 

 

「学童って,もう行かなくてもいいんじゃないか」そんな風に感じ始めている次男を何とか6年生まで在籍させたいと思うのは,このアルバムが欲しいからではありません。 

 

 

学童への入所や,継続を迷っている方がいたら,今一度考えてみてほしいと切に思います。

 

 

このアルバムの中の成長を,逃すなんてもったいない。

 

 

6年間通ってもらって,私はようやく気づきましたが,遅いことはありません。

 

 

なぜなら,私が気づかない間にも長男は成長していたのですから。 

 

 

長い人生の中のたった6年間の日々が,このアルバムによって,長男や私たち家族にとってより印象深いものになるであろうことは疑いようもありません。

 

 

6年間を支え,見守ってくださった指導員の皆様,たくさんの仲間たち。

 

 

心より感謝申し上げます。

 

 

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(ここから、管理者です)

 

 

 

 

 

 アルバム・・・。

 

 

 

 昭和の時代には当たり前だったアルバムです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 読者のみなさまの、心のアルバムに、本ブログの投稿(本体部分)が焼き付けられますことを。